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私が練習室にお邪魔したのは、双身機関の稽古が夕方に終わり、近所の喫茶店でのんびり食事をしてからだった。「最初の1時間は基礎だから、どうぞごゆっくり」という優しい言葉に甘えてのことだったが、果たしてそろりと部屋に入るとまだ基礎練は続いている。双身でもやってる位置取りってやつだ。空間を全員で取り囲み、その中に一人ずつ入っていく。その都度、他人との距離感を図りながら一番落ち着く地点を探り続ける。1巡すると同じことを今度は目を閉じて繰り返す。これをかれこれ1時間以上もしつこくやっているのだ。おそらく俳優たちの神経はミクロの単位まで微分化され、研ぎ澄まされていることだろう。私がよこしまブロッコリーの舞台からいつも感じ取る繊細さは、こんな果てのない地味な作業の上に成り立っているのだ。
基礎練をほとんどやらない劇団も多いし、もっと多いのは基礎が終わるとたちまちゼロにリセットされ、シーン稽古に何も反映されていない劇団だ。これではお金を取るに足る俳優のワザなど培われようもない。その点、よこしまブロッコリーの稽古は時間が切れない。位置取りで現れる距離感・空気感がそのままシーンに持ち込まれる。
たとえばカップルと思しき男女が具体的には判らないが何か極限的な状態にある。その状況は台詞に書かれていないため、俳優たちはそれを体で現わさなければならない。しかも相手がいる。置かれた状況を強く持ちすぎると相手との関係がうまく取れないし、関係を強く取りすぎると今度はその場の緊張感が薄れてしまう。この2つのバランスを取るために向きを様々変えてみたり、台詞の音圧を上げたり下げたり、たった数分のシーンを成立させるのに実に膨大な時間をかけているのだ。しかもただでさえ繊細なこのやり取りが、同じくらいに繊細なもう一組の男1人女2人のやり取りと同時進行している。俳優たちはさぞかし大変だろうが、彼らの体に負荷がかかればかかる程にその場の密度は確実に上がっていく。
こうした繊細さは、この日稽古していたもうひとつの場面でも貫かれている。こちらでは男2人が会社の(?)マドンナの気を引こうとお洒落な、あるいは多少気障な会話を繰り広げる。もちろん台詞に現れないところにメチャクチャ複雑な心理と駆け引きが展開されているので俳優たちはほとんどパニック状態だ。けれど素知らぬ顔でお洒落なイタリアンの話をしなければならない。普段も、そして稽古場でも演出のにへい氏は常に温厚だけれども、やっぱりこの人はサドだ。私はよこしまの俳優諸氏がいつも口にしていることを内心こっそり追認した。
和やかながらも実に緊張感の高い稽古場だったが、聞けば2つのシーンの内、2人は代役だという(11月のトライフル公演出演のため)。これで本役が出揃ったら一体どんなことになるのか?本当に本番が楽しみで仕方がない。
ジャコウネズミのパパ(双身機関代表)
※稽古見学は11月21日(日)、アクテノンにて